希望の党公認候補『我が敗戦記』(1)希望の党結党

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これは、2017年10月に施行された衆議院議員選挙に希望の党公認候補として立候補し、落選した者の手記である。手記の執筆者は、民進党公認候補予定者として活動していた。

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◆衆議院解散前夜

2017年1110日、希望の党共同代表に玉木雄一郎衆議院議員が選出された。翌日の新聞各紙では一面ではなく政治面で報じられていた。政権交代はおろか野党第一党にすらなれなかった現実を見せられて深い溜息がでる。

 

 わずか2ヶ月間の出来事が、何か何年も前の出来事のように思える。それだけいろいろな事があった。あり過ぎた。

 

 2017年917日の新聞各紙は一斉に「衆院解散か」と報じた。年内解散を想定はしていたものの、まさかこの時期とは予想だにしていなかった。

 

各紙の論調は、森友・加計学園の疑惑隠しの大義なき解散と批判的なものが多く見られた。

 

ただ、民進党は前原誠司氏が新代表に就いたものの、幹事長人事でつまずき、離党者が相次いで出ている状況。解散権を持つ首相としては「今なら勝てる」と踏んでやってくるのは当然だろうとも思う。

 

日程も1010日公示・22日投開票と決まっているようなので準備に着手する。なおも半信半疑ながら、時間と労力のかかる印刷物(ポスター、ビラ、選挙はがき)の作成だけは前倒しで進めていくことにする。

 

この時の街中の雰囲気は、街頭活動をやっていると、「ほんまに選挙するのか」「何のための解散なんや」「やりたい放題やな」と声をかけられることが多く、少なくとも逆風という感じはなかった。

 

あとは、野党共闘がどのような形に収斂されていくのかが課題であり、小池都知事の新党など頭の片隅にもなかった。

 

民進党県連では幹事会において、すでに決定されている公認候補予定者を改めて確認し、また、連合との合同選対本部も立ち上げ、組織体制を整えていった。

 

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◆希望の党結成

 

920日頃から、小池都知事の新党が結成されるとの情報が信憑性を帯びてきた。

 

それと前後して、前原誠司民進党代表の発言が変化し始めた。選挙における他党との連携については、代表選挙の時から一貫して「理念・政策の一致がないといけない」と述べていたが、「安倍政治を終わらせるためには、どんな手でも使っていく」という趣旨の発言が増えており、気になっていた。

 

前原代表に近い関東選出の衆議院議員と電話で話していると、「自分もそう感じている」と言う。

 

「(民進党を)離党した人の対抗馬として民進党公認候補を立てる話を具体化させようと代表に相談に行ったら、ちょっと待てと言われました。普通ならすぐにでも記者発表しろという話になるはずなのに、何かあるなと思いました」

「何か大がかりなことを代表は考えているんだろうか」

「たぶんそうかと。でも、その大がかりなことが、今、噂の、自由党との合流だとショボいですね」

「確かに」

 

 小池新党設立が本格化してくる。

 

 24日には東京はもちろん神奈川県の全選挙区に候補者を擁立すると発表される。心配になって前出の衆議院議員に電話する。

 

「小池新党が出すって言ってるけど」

「具体名も聞こえてきてますんで本当でしょう。そうなら、非自民が割れて自民が高笑い。私も華々しく玉砕してみせますよ」

私にかける言葉はなかった。

 

 ここまでは他人事の話だった小池新党も自分事の話になってきた。あるルートから、私の選挙区にも小池新党から候補者を出す話があると聞こえてきた。

 

 その候補者の氏素性は明らかでないが、信頼のおける筋からの情報だけに、怪情報と切って捨てることもできない。前出の衆院議員の「玉砕」という言葉が頭をよぎる。

 

「くそっ、新党ごときに消されてたまるか」

 

 925日、安倍首相が28日に衆議院を解散することを表明する。同日、小池百合子東京都知事が「希望の党」の設立を発表し、自身が代表を務めるという。

 

 927日、小池氏および結党メンバーとなる国会議員14人による記者会見で「希望の党」の旗揚げを正式表明、党の綱領および基本政策も併せて発表された。

 

 私の選挙区にも希望の党の候補が出ることを想定し、野党間での差別化をはかりつつ自民党候補にいかに対峙していくかに頭を悩ましている最中に、衝撃的な情報を耳にすることとなる。

 

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◆民進党が希望の党へ合流か?

 

 26日夜、小池氏と前原民進党代表が極秘に会談し、民進党が希望の党へ合流することが協議され、これについて最終調整に入ることで合意したという。しかも、この会談には神津里季生連合会長が同席していたというから驚きは倍増する。

 

 1993年の衆院選後、細川護煕氏を非自民連立八会派の首班に担ぎ出そうと、小沢一郎氏は当時の山岸章連合会長を同席させて細川氏を口説いたことを思い出した。

 

政治家だけの会談では、合意なるものは後々に反故にされることがままあるが、連合会長という第三者を同席させたということは「保証人」「立会人」が存在することにもなり、相当な決意の現れといえた。

 

 この合流話は、翌日28日の民進党両院議員総会に諮られて正式に決まる。あまりに唐突な話だけに、議員総会は大荒れに荒れ、一日では結論は出ないだろうと感じた。

 

 そこで、件の衆議院議員に電話してみた。

「明日の議員総会はただではすまないだろう」

「今の段階でこの話が漏れた以上は、もう後には引けないでしょう。議員総会で議論しましたが、反対論が多かったのであの話はなかったことにします、ということになったら支持率はゼロになっちゃいますよ。前原さんは退路を断ったということでしょう」

「じゃあ、明日は強引にやって、『代表一任』を取り付けるということか」

「まあ、そういうことでしょう。前原さんがどんなプレゼンするかですけど、それでも真夜中までかかることは間違いないですね」

「もう民進党を名乗れないのか・・・」

「誰も気乗りはしませんよ」

 

(2)へと続く